西浦みかんの未来を担う関野さんが伝える、西浦みかんの魅力と作り手の想い。
2021年2月12日(金)沼津市街地にて、「沼津の宝を知るワークショップ(西浦みかん編)」が開催されました。
沼津市街地から南へ30分ほど車を走らせれば、そこはみかんの産地「西浦」。
この地で発見され、沼津を代表する特産品の1つ「寿太郎みかん」は全国的にも有名です。
おいしい温州みかんが手軽に手に入る地域に住んでいると、その存在が身近過ぎて、みかんのことを知ってるようでじつは知らないのでは。そんな想いから実現したワークショップです。
この日、講師を勤めたのは、西浦の地で先祖代々みかん栽培を続ける「大松農園」5代目の関野拓郎さん。
30代後半の関野さんは、西浦地区のみかん農家の貴重な若手。(2021年2月時点)
みかん産地「西浦」の将来を担うヒトなのです。
高齢化の進む静岡県の農業就業人口、そしてエリアの現状も含め、リアルなお話を聞かせてくれました。
【ワークショップについて】
①西浦みかんの歴史
②リアルなみかん農園の実態
③おいしい選び方を伝授
④西浦みかんの未来
以上、大きく4つのテーマでお話してくれました。
▶大松農園と西浦の歴史
プロジェクターに映し出されているのは、大松農園初代 関野倉之助さん。
倉之助さんの奥様イチさんが、非常に才覚のある方だったのだとか。
1684年 西浦にて小みかんの栽培がされる
温州みかんの味は特に良いと記述されている
1820年 西浦に温州みかんが導入される
1881年 西浦、内浦で温州みかんの本格的栽培がスタート
1929年 西浦久連に興農学園 設立
デンマークの国民高等学校に範をとった全寮制の私立農学校。
創業者は、札幌農学校クラーク博士に師事した渡瀬寅次郎博士、内村鑑三氏、新渡戸稲造氏です。卒業生は200人以上、第二次世界大戦勃発により活動停止、閉鎖。
1982年 寿太郎みかんが商品登録される
西浦で小みかんの栽培が始まってから300年以上、みかんの産地が誕生するまで長い年月と先人の努力があったのですね。
▶一番おいしいみかんはどれ?
・形が扁平
・きめが細かい
・オレンジ色が濃い
・ヘタの軸が細い など
ポイントをチェックしながら、「これぞ!」という1個を持って関野さんに渡します。
糖度計で計測! \糖度12.9度/
12度以上は、一般的に甘くておいしい高級みかんとして取り扱われます。
肥料や摘果によって糖度を上げる工夫をするのですが、ただ甘いだけではおいしいみかんとは言えないのです。
「あと1個食べたい」次のみかんについ手を伸ばしてしまう、酸味と甘み両方を兼ね揃えたみかんが好まれます。夏の暑い時期も防除を実施、栽培の過程で表面にキズが付かないよう気を配るなど、収穫までみかん畑に何度も足を運び愛情を注ぎます。
みかんは、手をかけただけおいしくなるんだそうですよ。
『10年後の2030年、西浦みかん出荷量は35%減少する』
みかん産地のショッキングな実状。
近い将来、作り手の高齢化の影響が確実に出てくるとのこと。
‣後継者不足からの生産量の減少
‣JAなんすん柑橘共選場の老朽化、建て替え(費用の問題)
‣地球温暖化のみかん栽培に対する影響
良いところだけをPRするのではなく、地元の現状を包み隠さず話してくれたことが、みかん産地のこれからを背負う気概に溢れていると感じさせてくれました。
\太っ腹!寿太郎みかん約7㎏がお土産/
手をかけ、愛情を注いで栽培した寿太郎みかん。
自信を持っているからこそ味で勝負!まずは食べて大松農園のファンになってくれたらとのこと。関野さん、男前です!
お土産の多さに、参加者の皆さん、驚きと歓喜!
就農して、家族以外との関りが一気に減ったことが、思いがけずつらかったといいます。
自ら外に出ていかないと、閉鎖的な状況になってしまうと強く感じたのだとか。
そこで、今回のようなワークショップやイベント出店など、発信やコミュニティを広げることに積極的にチャレンジし、みかん農家の5代目としてできることを常に考えているそうです。
また、消費者と直接会話をすることで、どのような特徴のみかんが人気なのか、求められているサービスは何かなど、消費者のニーズの変化を栽培と販売に反映させていく必要があると考えています。
今が、生産者から商売人へのジョブチェンジする時と関野さん。
‣西浦寿太郎みかんGI保護制度対象認定(地理的表示)
‣人気アニメとのコラボレーション
‣興農学園の再始動
‣コロナ禍、ニュースタンダードからのニーズ変化
西浦みかんに追い風も吹いています。
このチャンスをどう生かすか。ピンチをチャンスに変えられるのか。
前を向いて力強く進み続ける関野さんなら、西浦みかんの歴史を大切にしながら新しい風を。