今、ケンちゃんが夢中になっているもの
とにかく笑顔がすてきな人。
今回お話を聞かせていただいたいて、あらためて、くしゃくしゃっと笑うその表情に「ああ、なるほど」と納得。
長倉建治(ながくら けんじ)さん。
1952年生まれの射手座。
沼津市戸田に生まれ、ずっとこの土地で暮らしてきました。
いつも幼稚園の帰り道に友達と遊んでいた、部田神社。
この自然いっぱいの環境のなかで、全ては無限に広がっているように思えた時間。
戸田の神様たちに見守られて。
今だからこそコッソリ言えちゃういたずらも、今は良い思い出。
大人になるって素晴らしい 笑。
昭和46年、戸田村農協に入社し、20歳の時に静岡柑橘連合会で柑橘類について実習を受ける。その後、JAの農業指導員として10年間、主に柑橘類と水稲についての指導に携わりました。
長倉さんと一緒に戸田のまちを歩いていると、
「ケンちゃーん」と、そこらかしこから声をかけられます。
子供の頃からの同級生もたくさんいるこの土地で、地域のみんなから慕われているケンちゃん。
−戸田について、どう思いますか?
やっぱり漁師町の色が強いよね。くちは悪いけど、仲良くなると実は気さくで面倒見がいい人が多いんです。
—何をしている時が楽しいですか?
最近は、5年前に亡くなった父親の相続手続きをきっかけに、先祖の生い立ちと絡めながら戸田の歴史を調べることに魅力を感じていて、それについていろんな人に聞きまわっています。また、仕事の一環として戸田に自生している”タチバナ”についての活動が広がりつつあることに、とても可能性を感じています。
この世界を最初に創った神様の想いを、思い出そう
長倉さんが、今、夢中になっているもの。
それは、”戸田タチバナ”を広げる活動と”戸田の歴史”を調べること。
タチバナ。
あまり知られていないようで、実は、日本人ならみんなどこかで見たことがあるこの果実。
おひなさま。
実は、このお雛様が飾られているひな壇の右側の花は、「左近の桜、右近の橘(タチバナ)」と言われるように、このタチバナなんです。これは、京都御所の紫宸殿正面の階段からみて左側にあるのが桜、そして右側にあるのがタチバナということが起源で、なんと平安京の時代から紫宸殿には代々タチバナが植えられています。
なぜ、タチバナなのか。
その理由を知るには、古くは奈良時代、日本書紀に「非時香菓(トキジクノカクノコノミ)」として、この果実が記されていた時間までさかのぼります。
タチバナは常緑で果実をつける期間がとても長い柑橘類。その香りも長続きすることから、昔から”永遠”を象徴するものとされ、「これを食べると不老不死を手にいれることができる」と言われてきました。
ある時、時の天皇である垂仁天皇が、田道間守(たじまもり)に「常世の国より、非時香果(ときじくかぐのみ)を探してきなさい」と命じます。田道間守は常世の国に行き、10年の歳月をかけてとうとうその実を持ち帰ります。それがタチバナの実でした。
しかし、時すでに遅し、田道間守が天皇のもとに戻った時には垂仁天皇は崩御されていました。それを嘆いた田道間守は、御陵に非時香菓(ときじくかぐのみ=タチバナ)を捧げたまま、息を引き取ったといわれています。
タチバナは、田道間守が命懸けで常世の国より持ち帰った永遠の果実だったのです。
ところで、垂仁天皇はなぜ田道間守に、常世の国にタチバナの実を取りにいくように命じたのでしょうか。
実は、その理由はその香りにありました。
田道間守がタチバナを探しに行った常世の国。そこは、神々がこの地球上にはじめてつくった理想郷のような場所。そこに自生しているタチバナの実の香りをかぐことで、神様がこの世界を創造した”原点となる想い”を常に忘れずに国を治めていきたいという、垂仁天皇の”原点回帰への願い”がそこにはありました。
つまりタチバナは、「原点にもどること」や、「ものごとのスタート」の象徴として、古来より日本では珍重されてきたのです。
タチバナはまた、今も昔も天皇家との深い繋がりがあります。
皇后雅子様がご成婚の際に着た十二単の色目も”花橘”と呼ばれるもので、その色調もタチバナを思わせるものでした。
”皇室”とは、日本人が大切にしてきた”権力とは無縁の存在”。その皇室と原点回帰の象徴としてのタチバナとの繋がりが強いというのも、その根底に流れるわたしたちの国、日本という国のおだやかな感覚の表れではないでしょうか。
そんなタチバナに魅せられてしまった長倉さん。
その想いは、どんなところにあるのでしょうか。
戸田とタチバナの深い関係
海越しに見える富士山。
なぜこの景色は、何度見てもこんなにも美しく、私たちの心に染み入ってくるんだろう。
戸田とタチバナ。
その関係を知るべく、歴史を紐解いてみると、やはりそれはこの雄大な富士山と切っても切れない関係にありました。古代文献のひとつとされている「秀真伝」(ホツマツタエ)には、常世の国の花であるタチバナを富士山に植えて、国を治めたと書かれています。
昔この 国常立尊の
八降子 木草お苞の
秀真国 東遥かに
波高く 立ち登る日の
国すべて 常世の花を
原見山 香具山となす
むかし、国常立尊の八降り子であるトホカミヱヒタメのうちのトの神は、
木草の種を土産として秀真国の天の原見山(富士山)に政事を執られた。
その秀真国の遥か東に、日が高波の上に見える日高見の国がある。
トの国は日高見の国の高皇産霊尊とともに国を治められ、
常世の国の花である香久橘を、天の原見山(富士山)にお植えになり、
この山を香具山と讃えた。
(鳥居礼「完訳 秀真伝」上巻より)
※引用文献
吉武利文(1998).「ものと人間の文化史 橘(たちばな)」64-65
戸田の御浜御崎海岸にある諸口神社。
その脇にも、凛とした佇まいのタチバナが植えられています。
この場所に、ヤマトタケルノミコトのために、自らの身を投げ荒海を静めた弟橘姫(おとたちばなひめ)が祀られているのも決して偶然ではないでしょう。
「子供のころから、戸田にタチバナがあるということはもちろん知っていました。でも、正直なことを言うと、その魅力に気づいたのは、ここ10年くらいなんです。タチバナの魅力を知れば知るほど、自分が生まれた土地を誇らしく思えるんです」
「戸田タチバナの魅力を多くの人に知ってもらいたい。そして、戸田の素晴らしさに気づいてもらいたい。そのためには、まずは戸田に住む人たちに伝えることが重要だと思っています。そして、タチバナを通して、戸田が元気になってほしい。そういう想いで戸田タチバナを大切に育てています。」
時にはそんなタチバナで活性化に繋げることの難しさに思い悩んでしまうこともあると、長倉さんは話してくれました。
でも、そんな時こそタチバナの香りを。永遠に続くその香りは、神様がこの土地に最初にタチバナをもたらしてくれたその原点となる記憶を私たちに甦らせてくれる。大丈夫、きっとタチバナの香りはみんなを導いてくれるから。
−長倉建治さん− とにかく笑顔がすてきな人。 今回お話を聞かせていただいたいて、あらためて、くしゃくしゃっと笑うその表…
−長倉建治さん vol.3− 海越しに見える富士山。なぜこの景色は、何度見てもこんなにも美しく、私たちの心に染み入ってくるんだろう…